KOKI MATTRESS

会社概要

マットレスは人生のパートナー

株式会社弘樹は25年間、スプリングコイルのマットレスをはじめとするマットレスを製造してきました。
今では年間約15万本もの製造・出荷を行なうまでになりましたが、それはすなわち、お客様に認めていただいている証だと考えています。
弊社は、マットレスを単なる寝床としてだけではなく、人生の1/3を共にする睡眠のパートナーとして、 ご購入頂けるようなスプリングマットレスを提供させて頂きたいと考えております。
マットレスと聞くと、やはり欧米製が本物というイメージが強いですが、我々は決してそうは思いません。
歴史的に見ても、畳・布団ですごしてきた日本人には独特のオリジナル性が必要です。
品質・機能性・デザイン性などを細かい部分に目をとがらせ、日本人だからつくれる、日本人のためのスプリングマットレスを製造して、 皆様に使っていただきたい。
それが、株式会社弘樹の事業の目的と希望です。
会社名株式会社 弘樹
代表者名木村 弘樹
所在地〒542-0082 大阪府大阪市中央区島之内1-19-21
TEL06-6245-8622
FAX06-6245-8621
創業1986年1月
設立1998年1月
資本金1100万円
取引銀行三井住友銀行 大阪西支店 三菱東京UFJ銀行 上町支店

出荷体制について

月間15000本の出荷体制を確保するため、
3700坪以上のデリバリースペースを関西に有しております。
また、遅くとも翌日出荷を確保するために、
在庫の確保、物流体制の確保に日々精進しています。

生産拠点について

KOKI社では、設立以来、欧米の技術をいち早く取り入れ、
最新の設備と生産ラインを導入しているマットレス専門の中国工場にてマットレスを製造しています。
日本市場における製造実績も約30年となり、欧米諸国など諸外国へも製品を多数輸出しています。
工場は、年間10万本以上のマットレス生産能力があり、マットレスの主材となるコイルスプリングやウレタンなども全て自社にて製造。
KOKI社と工場は毎月一度の綿密な会議を行い、企画・開発から生産管理などすべての作業を一体となって執り行うことで、 お客様が求める製品を「安心・安全な品質」で作り上げていくことをモットーに日々取り組んでいます。

弘樹社の歴史



1986年1月 創業

おまけ的存在という価値観を変える為、中国メーカーでの製造を決断。

当時はマットレスの製造は国内のメーカーのみで行っていました。
国内メーカーのスプリングマットレスは、ノウハウや実績がない為、 中身の構造もソファーに毛の生えたぐらいのひどいものでした。 しかし、その割には高い価格で販売されており、販売店においてもベッドの本体が重要視され、 マットレスはおまけ的な存在で、品質に関心を持っているメーカーはあまりありませんでした。
弘樹社は、ベッドで一番大事なのは寝床となるマットレスだと考え、 おまけ的存在の価格設定を固守していた国内メーカーをあきらめ、 中国のメーカーにおいて製造することを決断しました。    

1987年

中国での製造拠点を決定。工場立ち上げに着手

当初は、中国の北から南まで色々な工場を回りました。
中には欧米向けを主な顧客とした、とても立派な工場もありましたが、弊社としては、 当時の大手商社のように、ただ出来上がった商品を買い付けているだけでは何の進歩も無いと考えました。 そして、あえて、当時立ち遅れていた北地区の大連を拠点に決め、工場の立ち上げに着手しました。
中国の南地区に比べると工場の規模も小さく、全てのレベルも大変低かったので、 製造をスタートするまでに約3年の月日がかかってしまいました。

1988年

工場創成期。品質改善の為のトライ&エラーと実績の積み上げ

様々なトライ&エラーを重ねながら、毎月1コンテナ(約150本)くらいの製造を細々と繰り返し、 問題点を改善しながら、少しづつ実績を積み重ねた年でした。
当時、「中国製は」と仰るお客様に、納得してもらえるマットレスを必死に製造していました。

1989年

天安門事件が勃発。生産継続の危機を乗り越える。

やっと継続して購入してくれるお客様が付いてきた時、天安門事件が勃発。
戒厳令も出て、何度か怖い思いをしました。一番困ったのは工場の生産でした。
若い工員の確保、不安定な電力、輸出通関の問題など安定した出荷が出来ず、納期の遅延、 キャンセルなど大きな被害が出てもうだめかと思ったこともあります。
それでも何とか生産を続け、乗り越えられたのは、品質に重点を置き、品質問題だけは発生させないことを注意したことでした。 そしてそれらは、今日の弘樹社に繋がっていると確信しています。また、この時期に、 現地の工場とも本当の信頼関係が確立したと思っています。天安門事件は、色々な意味で、決して忘れられない出来事でした。

1991年

品質と低価格の両立を実現。販売数が年間2万本に。

品質に重点を置きつつ、中国生産のメリットである低価格を実現したことで、 販売数は順調に伸び、年間約2万本まで到達しました。

1994年

ポケットコイルの生産開始。

現在は主流になっているポケットコイルの生産を開始しました。
当初は問題点も多かったのですが、設備の改良や構造、材料の改善で、安定した品質を確保し、 購入いただいたお客様からの評価も上々でした。

1997年

ポケットコイルの生産開始。

国内メーカーを中心に、マットレスの表地は当たり前に白か黒の無地でした。
この様な状況に対して、弊社はあえて奇抜な色や柄の生地を使い 数を超えることが出来ました。

2002年

機能面、ビジュアル面などで様々なラインナップを展開したことで、更に販売数も増加。

スプリングコイルとポケットコイルのマットレスをベースに、詰め物のウレタンや表地の柄などを様々な展開をおこないました。
ベッド本体に合ったマットレスをセットで見せることで、ベッドの販売数も増量していくという結果が出てきたことから、 弘樹社のマットレスの役割はどんどん大きくなり、販売数も更に増えていきました。
この年に販売数は待望の10万本を超え、工場も現在の新工場へと移転しました。

2005年

弘樹社のスタイルが市場に定着。
買い替え用の販売の安定化、リピータも増え、販売数は年間15万本に。

スプリングコイルとポケットコイルのマットレスをベースに、詰め物のウレタンや表地の柄などを様々な展開をおこないました。
ベッド本体に合ったマットレスをセットで見せることで、ベッドの販売数も増量していくという結果が出てきたことから、 弘樹社のマットレスの役割はどんどん大きくなり、販売数も更に増えていきました。
この年に販売数は待望の10万本を超え、工場も現在の新工場へと移転しました。

2011年

弘樹社のスタイルが市場に定着。
買い替え用の販売の安定化、リピータも増え、販売数は年間15万本に。

国内メーカーを中心に、マットレスの表地は当たり前のように、白か黒の無地でした。
この様な状況に対して、弊社はあえて奇抜な色や柄の生地を使い 数を超えることが出来ました。